経済成長には限界があるけど、限界に達した社会も悪くないと思うよ

がれぶる的には、世界の経済成長には限界がある、と思っています。

NHKスペシャル「シリーズ マネー・ワールド資本主義の未来 第1集 世界の成長は続くのか」を見て、色々考えたことをまとめてみました。

番組で紹介された「蟻の巣」のたとえ

番組を見て、特に心に残ったのが、「蟻の巣」のたとえです。

地球のほとんどの地域にまで、先進国的な経済活動が蟻の巣のように広がってしまい、もう「巣」を拡大できなくなってきているから、経済成長が停滞している、というものです。

じつは、高校時代、がれぶるは生物の授業を受けながら、似たようなことを考えていました。

 

森林の成長には「極相」という限界がある

森林の成長についての理論で、「極相」という考え方があります。これは、草原から森林に成長していくと、ある段階でそれ以上成長しなくなる、と言うものです。この段階を「極相」といいます。

「極相」に達した森林は全体としてはそれ以上成長しなくなり、二酸化炭素の吸収量もほぼゼロになります。

森林が成長するためのエネルギー源は、太陽の光です。しかし、一定面積の森林が受けられる太陽の光のエネルギーには限りがあります。森林が育ったからと言って、そこに太陽が強い光を浴びせてくれたりはしないですからね。

また、森林は成長するにつれ、住む動物が増えたり、植物自身が生きるために必要なエネルギーが増えたりして、森林全体として消費するエネルギーの量が増えていきます。

森林が受けられるエネルギーと消費するエネルギーが、釣り合うと、それ以上の成長ができなくなるわけです。

 

経済成長にも同じく限界があると思う

人間の世界の経済活動においても、同様に成長ができなくなる段階がやってくる、とがれぶるは考えます。そして、この考えは、「蟻の巣」のたとえで説明された経済成長には限界があるという考え方と一致するように思えました。

つまり、地球上にいる限り、経済成長には限りがある、とがれぶるは思うわけです。

 

経済成長は人の欲求がつくる

ところで、経済成長における「太陽光」の役割を果たすものは何でしょうか。それは、人の欲求なのだと思います。

安全で清潔な住処から、美食の限りにいたるまで、経済社会は、人の欲求を満たすべく、様々な商品やサービスを生み出していきます。

ひとの欲には限りは無い、なんていうこともありますが、でも結局はヒトが考えつき、ヒトひとりが欲しいと思うモノやサービスは、平均的にはそんなに大きなものにはならないでしょう。

また、新たな欲求は新たな経験から生まれます。人の寿命はたかだか100年程度、人類全体で見ると、新たな欲求を生むような経験は、定期的にリセットされてしまうのです。

つまり、人類全体で考えると、結局はヒトの欲求には限りがあるのです。これはつまり、世の中で必要とされるモノやサービスの量には限りがあるということです。ということは、資本主義の成長には限りがあるのです。

 

成長継続を前提にしてるです?

ですが、現在の資本主義社会は、社会全体として成長し続けることを前提に成立しているように思えます。

社会全体として成長するから、銀行も融資先を見つけられ、利益を上げられます。銀行の利益が出ないのなら、資本主義システムは長続きしないでしょう。マイナス成長が悪いことだとみなされていることからも、成長が前提、ということがわかりますよね。

でも、大々的に人類が宇宙に旅立ち、人間の数が2倍や5倍というような、大成長を遂げるまでは、こういう、成長しきって、もう成長しない世界が続くのだと思います。

 

「成長しない」世界も悪くないと思う

でも、「極相」に達した森林を豊かな森だと思うように、成長しきった社会も豊かな社会だというふうにすることができるはずです。それは、欲求をすべてくみ取れている社会だといえことですから。

つまり、経済成長し続ける、ということに依存しないような、でも豊かな社会です。そのような社会の中で、科学技術を発展させ、広く宇宙に飛び立つ日に備える、というのが、人類が進むべき道なんだろうなぁ、と思うわけです。

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